ニセ科学の概説に続き、第2部では「科学を教えること・伝えること、そして「ニセ科学」」という講演。
数年前の小学校指導要領理科編の中にある、相対主義的な科学観を取り上げ、その危険性について講じていました。

相対主義的な科学観とは、絶対主義的な科学観、すなわち今ある科学的な理論が絶対的に正しいという考えに対し、それらの既存の科学をあくまで相対的にただしいっぽいものと考える考え方です。要するに今の科学理論は歴史の中のひとつの通過点にすぎないので、それ絶対と考えるべきでないというもの。


僕は相対主義的な科学観自体は、否定すべきではないと思います。科学は未知の新しい発見の連続で発展していることは間違いないからです。追求する過程で現状の理論では説明できない事象がみつかり、科学の常識が大転換するような大発見に繋がることだって、今後もあるかもしれません。そういう点に注目すれば必要な考え方だと思います。理科の教育要領に載せたのも、そういう探究心を養わせなさい、という意味なんでしょう。
フォーラムで指摘していたのは、指導要領にある相対主義的科学観のひどく偏った考え方で、それがニセ科学をうむ温床にもなるんですよ、という点で批判していたのだと思います。たとえば水からの伝言の、水にばかやろうといえば汚い結晶ができ、ありがとうといえば整然としたきれいな結晶ができるのは、正当な科学であるとか、そういうわけのわからんものも肯定しうるのですよ、という危うさの指摘だと理解しました。


要するに問題は相対主義的な科学観自体ではなく、科学に対する正しい理解をしなくてもいいというような、最近の風潮なんでしょうね。正しいことを噛み砕いて説明する機会の圧倒的な不足が問題なんじゃないでしょうか。
そういう意味では(金がらみや倫理上?の問題で)ニセ科学を指摘できなかったり、変な思想の自由を容認するマスコミも悪いんだと思います。あるある大辞典があんなにわかりやすく頓挫したのに、結局その教訓はまったく生かされていませんよね。今のままではニセ科学は、宗教と同じように個人の経験や価値観や、現実逃避的な発想などによって、今後も発展していくんでしょう。

そういう意味でこのニセ科学フォーラムはとても重要ですよね。
なんでニセ科学フォーラムは、ここでしかやられていないのでしょうか?危ないからほかではやりたがらないのでしょうか?それとも知られていないだけでよそでもやっているのかな?
なんだか、だんだんこのニセ科学フォーラムのような試みが世の中にとても少ないことが、相当不自然なことのように思えてきました。



遅くなってきたので、3部目についてはまた次で書きます。